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だらだら雑記集

題名の通りだらだらと思ったことを淡々と書くブログ。 きっと間違いだらけ。

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耳が痛いどころか頭が痛い話

神様なんて信じない僕らのために - 組織の改善を待ってはならない

……そして、人は去りゆきその組織はさらに駄目駄目になると。

まさに今のうちの会社です。
ほんとにさ、出来る人は気づいてしまうのですよね。
腐りきってることに。

ほんとに現状に満足してるSEが私の会社には多すぎる。
入って一年目(去年)の時点では、
とりあえずいろいろ言いまくって変えてやろうとか思ってましたが、
2年目(今年)からは全くの無駄だと気づきました。

なぜこの会社はモチベーションを奪う方向にばっかり長けているのかと、
思わざるを得ない状況ばかりです。

と愚痴ばかり書いてしまいましたが、
社会人になってふと思ったことは、
査定なり能力なりを評価できる人がいない、ということです。
部長にもその能力はないし、結局は売り上げ等の数字だけ。
こうなると営業職は評価できますけど、技術職は評価できない。
うちの会社の開発の査定はひどすぎです・・・

こんな状態ではモチベーションがあがるわけもなく、
上記のエントリのように、人が腐っていき、
モチベーションのある人は去っていく状態ができあがるわけです。

で、私はといえば、今は会社の中で仕事をしながら、
「世の中で必要とされている技術」を常に意識しながら働いています。
社内だけで通用するSEや技術者など必要ないと思いながら。
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  1. 2006/11/28(火) 16:39:59|
  2. 仕事
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あ、やっぱりね。

そう思ったのは俺だけではなかったのだね。
安心した。

ネコプロトコル:トーマスとジェットエンジンという組み合わせからは明らかに悲劇的な結末しか導き出せない。

このジェットエンジン光るらしいよ。
すげー!

いつかトーマスも飛ぶ日がくるのかなぁ。
そして宇宙を駆け巡るのだ。(機関車トーマス宇宙編)
そして盗作疑惑へと・・・・・

まぁそんな妄想はさておき、
ジェットエンジンという発想についてはある意味すばらしいと思う。
  1. 2006/11/28(火) 09:57:06|
  2. 趣味
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予想外です。

コメント欄はないけど、
TBは受け付けていただけるようなので、ブログ内にてコメント。

多田 葵*official blog:いい夫婦の日

おおSH901iCとは俺と一緒の機種ではないですか。
例の文字列を打つと再起動してしまう例の機種ではないですか。
最近調子が悪いので機種変を考え中。
あんまり機能いらないので70シリーズでいいかな。
Pにしちゃおうかしら。

話はもどって、
葵っちの歌が川崎できけちゃうんだね、
生葵っちが川崎で見れちゃうんだね。
どうしようかなぁ。行こうかなぁ。
CD欲しいしなぁ。売ってるのかな?

ところで、左のLIVE予定が11.25(sun)になっているけど、
土曜日ですよね!?!?

友達さそって行ってみようかな。
  1. 2006/11/22(水) 22:53:37|
  2. 趣味
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ぐ、やられた

朝からずっとblockquoteタグの調整をしてたが、
まさかプレビューや下書きではスタイルシートの設定が
反映されないなんて・・・・

うぅぅ。朝からずっとやってたのに・・・・
  1. 2006/11/22(水) 14:25:08|
  2. 適当ブログ
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携帯キャリアの運命


だらだら雑記集:電話が無くなる日

の続き。
そして、ちょっと未来予想というか妄想。

有線のキャリア(NTT東西、NTT-Com、KDDI、SoftbankTEL等)は、
NGN(Next Generation Network)のインフラ整備が役目となり
存続していくだろう。
また、セキュアなインフラ(IP-VPNや広域イーサ)の必要性が
今後も増大していくため、
ますますインフラ色(裏方)が強まるのではなかろうか。

携帯キャリアについては、
上記NGNによるFMC(Fixed Mobile Convergence)で通話料に頼った経営が困難になるだろう。

そして、IPインフラへの統一によって、端末メーカがキャリアから解放され、
○○○iとか、W○○といったキャリア専属端末ではなく、
それぞれメーカによる特色ある端末が現れる。

と書きたいところだが(実際書いてるけど)、
現状WiMAX等無線規格がふらふらしている状態なので、
キャリア独自の無線方式(IPベースで)を提供し始め、
あんまり現状と変わらないかも・・・
ある程度の安定度と帯域が確立されるまで、
キャリアによる競争が進むであろう(ADSLのように)。

無線規格の統一が行われると、
携帯キャリアは今までのような線売り的な経営では立ち行かなくなるので、
コンテンツ提供を主要としていくのだろうか。

多分この辺を見越してのSNSとの連携や、
音楽ダウンロード等のサービス提供を行っているのだろうけど、
キャリアがやるサービスとしては結構微妙・・・・

携帯キャリアが跡形もなく消滅するとは思えないが、
今までのような経営が通用しなくなることは十分に考えられる。
今後も携帯キャリアの迷走はつづくのだろう。
  1. 2006/11/21(火) 21:44:22|
  2. 通信系
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電話が無くなる日

携帯電話の通話料が0円になるのではなくて、
電話そのものが無くなってしまうのではなかろうか。

この件に関してはいつかエントリしようと思っていたので、
一気にエントリ。

まずはこちらから、


池田信夫 blog:携帯電話の悪魔的ビジネスモデル


この記事の中では、携帯電話の通話料金が高いのは、
端末が多機能で高額であり、その分の費用が通話料に上乗せされているためである。
という内容である。
指摘は正しいものであり、詳しい内容は上記の記事を参考にしていただきたい。

で、私は以下のことを追記する。

現在の携帯電話システムでは、主要各社それぞれが、
独自のインフラ(アンテナ等)を用意している。
つまり、電話線がただ見えないだけの状態。

この状態では、インフラ設備が過剰に必要となり、
各社それぞれが、電話線を全国各地に引いている状態と同じである。
(コスト的にみれば、電話線を引くより高い)

これでは、通話料金が現在においては下がる見込みは薄い。

そこで、通話料金を劇的に下げる(0円近くまで)にはどうすればよいかというと、
下記エントリのようなモデルとなる。


池田信夫 blog:携帯電話が本当に「0円」になる日


これはすなわちインフラを統一しようという動きだ。
IPインフラであれば、機器等のコストも低減でき、
インターネットにただ乗りすることで、通話料を劇的に低減できる。

と、将来的にはなるのかもしれないが、現時点では全然無理だと思う。

というのも、現状の無線LAN技術ではとても通話に耐え切れない、
というより環境に影響を受けすぎる点があるからだ。
ほんとにサイトサーベイもせずに通話できるのかなぁ、と私の疑問は尽きない。

順序としては、モバイルブロードバンドの実現が先となるのであろう。
そしてモバイルブロードバンドが定額制になった時、
通話音声は情報トラフィックの一部となり、
既存電話システムは消滅することになる。
その頃には「電話」という概念が無くなっているかも。
  1. 2006/11/21(火) 17:03:26|
  2. 通信系
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できないものはできない。(気がしないでもない)

ちょうど朝上司に注意されたばかり。
なんて絶妙なタイミングなのだろうか。

FPN:机の上を散らかさないようにするための10のコツ

なるほど、なるほど。
こうすれば机の上が散らからないのか。

と、理解できる人は最初から散らからないわけで。

自分で作った整理整頓ルールが守れるひとも散らからないわけで。

私の場合は掃除するときは徹底的にきれいにして、
持続させようと、上のエントリのようにルールを策定する。

が、ルールを破った途端一気に崩壊するのです・・・・
あとはもう流されるままに汚くなっていくわけで・・・

でも利点もあるんですよ。
ええ。
汚いと物とか資料が行方不明になると思われがちですが、
捨てないので逆に無くならないわけです。
机の山を掘り起こせば必ずどこかにはあるのです!!!!

あと、整理整頓ができない人は、
頭の中で整理整頓されていて、大体この辺りにあるとか、物覚えの良い人であると、
どこかで読んだ気がします。

机の見た目で仕事の良し悪しや出来不出来が決まるわけじゃない!!

では今から掃除します・・・
  1. 2006/11/20(月) 17:10:21|
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議論のバランス感覚

正しいと分かっていても反論したことはありますか??


-*LOVE IS DESIGN* - 自分と違う意見


自分とは違う意見というのは非常に大事なものだし、
議論するというのは違う意見を言い合う場に近いものだと思う。

私が小学校で議論(学級会だったかな?ちょっとあいまい)したときに、
先生から「議論のバランスを取ることが大事」と教わった記憶がある。

その時から私の議論に参加する時は、バランスをとりつつ自分の意見を言うようにしてきた。

なので、たとえ正しいと思われる結論や解決策についても、
あえて反論をしていた。(最近はあまりしないけど)
当時の私は相当にうざい人物であったと思われるが、
あらゆることを想定しなければならないな、
そういう意見もあるか、
というような議論の方向を広げる役はそれなりにできてたような気がする。
(自分評価)

私が常々思うのは、違う意見こそ大事である、ということだ。
違う意見に対して答えることで、より自分の意見が洗練されていくし、
視野と考え方が広がっていく。

「そうだそうだ!!」より、「いや、それは違う!!」のほうが、
めんどくさいし、労力もかかるけど、
両方の意見の中間に答えがあることの方が多いのではなかろうか。
だから、この便利なブログの世界でこそ、
ばしばしと違う意見を言い合うべきではないかと思う。

なので、私のエントリが反論ばかりに偏る可能性があると思いますが、許してね。
  1. 2006/11/17(金) 17:21:26|
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「俺はなんでブログを書いてるのだろ?」

そうです、ネットは修行なんです。


べにぢょのらぶこーる:「アンタなんのためにネットやってんの?」


私の場合は業務の一環としまして(自己判断ですが)、
ブログを書いているわけです。

職業柄文章を書いたり、技術をわかりやすく表現するお仕事なので、
ブログが大変役に立つ、、はずです。

あ、あれです、最近メールをかしこまって書くのが
早くなった気がします。

あ、あとお客様に説明する文章が上手くなったきがします。

え、えーと・・・・・

という冗談はさておき(一部事実)、
私もべにじょさんのように、
いろいろな人の価値観や意見、最新技術動向に触れることによって
広い視野を持つことが、
私の職業におけるレベルアップにつながると考えているので、
ネットとブログをやっているのです。

ブログを書き始めて最近思ったことは、
「文句があるならブログで書け!!」
と大きな声でいつか言える日がくると良いなと思った。

ちょっと追記。
このブログの位置づけはコメント欄に長く書くのがなんとなく気が引けるので、
TBという形で自分の意見を述べてみたりするブログである。
うっとうしいTBばかりで申し訳ないとこの場をかりてお伝えいたします。
  1. 2006/11/15(水) 15:55:52|
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来年こそは!!

気づけばもう今年も少なくなったわけで。
年が変わると必要なものといえば、
カレンダーと手帳である。

ということで素敵なページを見つけちゃいました。

Romantic Sentimental - 早く寝ろって話しだけど


す、すごい。
なにがすごいって、しっかりと活用されていることももちろんだが、
過去の手帳を保存していること!

俺全く残してないよ。
かといって捨てた記憶もない。
はて?いったいどこへ・・・・

今年のはじめのほうは、
「できる手帳の使い方」みたいな本を立ち読みして、
よし、がんばるぞ!みたいな流れになりながらも、
結局習慣化せずに

スワン式:わたしの上を通り過ぎようとしている手帳

のようになってしまった(失礼か??)。

同じような人がいるんだなとちょっと安心(またしても失礼)。

現在は付箋にいろんなことを書いてそれを手帳にぺたぺた貼っている状態。
貼りすぎて、きーってなったら直接書き写している。
この書き写す作業がなんとなく無駄。

でもまぁそれ以外はこれといって不都合はないんだよね。
まぁいっか・・・・
  1. 2006/11/14(火) 17:10:36|
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善意で片付けるにはつらすぎる

全くの同感である。
そこにあったのは、善意の感動ではなく、恐怖だった。


ekken♂ : 他人の善意を利用して悪意なきスパムをばら撒くこと


上記のekken氏のエントリ及びコメント欄を読んで思ったことをエントリ。

私は検索結果を見て恐怖感を覚えたので、
それはなぜなのだろうかと考えてみた。

「あなたの善意で」という言葉に人はめっぽう弱いのだろう。
全くなにも考えずにほとんどの人が転載しているように見える。
このデジタル社会のしかもブログのなかで、
転載することにどれほどの意味があるのかわかってないのではなかろうか。
ただ単にURLを記述しておけばいいじゃん、とか思ってしまった。
そんなことすら考えもせず、言われたままに転載してしまう事実が恐怖なのだ。
善意とつく物を鵜呑みにしすぎている。

善意で転載することは、もはや善意ではなくなっているのではないだろうか?
本当に自分にできる善意は転載することなのだろうか?
なにも考えずにただ人から言われたことを実行することを、
善意と呼ぶことはできない。
  1. 2006/11/14(火) 11:58:34|
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ゆとり教育は本当に悪いのか?

甘やかしているのは教育を受ける者ではなく、教育する者だ。


【コラム・野菊】11月5日 甘やかし教育-話題!ニュース:イザ!


生物の授業を高校で習わずに医者になることがそんなに問題なのか?
P波とS波と地震の関係を知らないことがそんなに問題なのか?
と私は思っている。
専門的な道に進むのであれば、基礎からやり直すのだから、
高校時代に必須の知識する必要はないと思う。

むしろ、70時間勉強すれば単位認定します。というような制度のほうが大問題だと思う。
テストという物によって理解度を見た上で、ではあるが、
時間で習得したかしないかという概念がどうかしてる。

私はゆとり教育賛成派なのだが、
その理由として、
無駄に時間に縛られる教育カリキュラムよりは、
学ぶ者自身が考えながら教育を受ける時間のゆとりが増えることによって、
学問とは学ぶというのはどういうことなのかを知ることが最も重要だと思うからだ。

つまり、数学Ⅰ・Aを習得するのには当然個人差があるから、
分からない人はより時間をかけて学習すればよいし、
分かる人はもっと他のことを勉強すればよい、
というような縛りを無くす方が有用だと考えている。

なんだか今の世の中には勉強すれば、教育を受ければOKみたいな風潮がるけど、
絶対におかしい。

高校を卒業して10年になるが、
社会がこれだけ変化しても、
10年前とさほど変わらない教育をしていることのほうが、よっぽど問題だ。

とりあえず大学に入れるように勉強しろ、という基本姿勢はどうなのだろうか?
大学なんていうあんな閉鎖的で、勉強は自分でしろ、
というような所を基準に教育してることがほんとに正しいのか?

教育とはものすごく重い題材で、
国単位でみればいつか自分にはねかえってくるぐらい影響がでかいものだ。

現在私を含めて日本に暮らすほとんどの人が教育を受けてきたのだから、
その経験を、その体験をもっと次の世代にフィードバックしていかなくてはならない。
だから、甘やかされているのは教育を受けるものではなく、教育するものだと思っているのだ。
  1. 2006/11/08(水) 14:51:20|
  2. 学問
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ごもっとも


Web屋のネタ帳:Webサイトに見る大企業病の一例


全くその通り。
そして利用者は全然そんなことができるとは知らないんだよね。
というか知らせる意欲がないんだよね。
だったらしなきゃいいじゃんと思う人はいなかったのかなぁ。

なんかあんなところや、こんなところと提携って話は聞くけど、
じゃあ使ってみよう!!て考えた人は思っているのかね?
会社を離れれば自分が消費者だということを忘れすぎ。

「なんで売れないんだ」はまず自分に問いかけるべきである。

ちなみにうちの会社も中途半端なくせに大企業病なんだよなぁ。
本気で腐ってる。という愚痴エントリー。
  1. 2006/11/02(木) 18:05:47|
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そもそも数学とは?

コメント欄に書いてみようかと思ったが、トラックバック。


suVeneのあれ: 結果が全てです


本当にそうだろうか??
ちょっと違うなと思ったので私なりの見解を書きます。

まず、タイトルにもしましたけど数学がテーマになっているので、
そもそも数学という学問の意義というか、性質について考えてみる。

この前「フェルマーの最終定理」という本を最近読んだのだが、
この中で数学(数論)とは証明をすることであるというような部分があった。
そして、「フェルマーの最終定理が解けたところで、なんの意味も無いかもしれない」と書かれていた。
確かに3次方程式とか覚えたところでなんの役に立つのか、
数学の授業の中で理解することはほぼ不可能であろう。

つまり、数学というのは単体では役に立たない学問なのだ。

数学はある特定の分野では恐ろしいまでに強力な「道具」となる。
私は電気電子工学の分野に進んだのだが、
あれほど意味が無いと思っていた虚数やらSinだのCosだのといったものを使わないと計算・表現できなくなる。
数学とは道具なのだ。

なぜ数学を道具にできるかと言えば、その完全性にある。
数学はありとあらゆる学問の中で唯一(ほぼかな)、
間違いがない。
「公式・法則」といったものは数学の世界で一度認められる(証明される)と、
訂正されることはない。
それほどの完全性を求めるのだ。

他分野を例にあげると、電気工学は+極と-極の名前のつけ方を間違えてしまった。
発見された当時は電気は+極から-極に流れると思われていたが、
実際の電子の移動は-極から+極である。
そしてこうした訂正は日常茶飯事だ。

だから先生の言った
「数学で大切なのはプロセスなんだ。答えなんてただの数字でしかない。」
については正しいと思う。
絶対不変の式の成り立ちを知ることにこそ数学の価値がある。
そして、数学が他の分野でその完全性が用いられることによって、はじめて意味のある数字や式にすることができる。

計算が速くて正確にできることは、数学ができることとは違うのではないか。
数学のテストの仕方が間違えているように思えてならない。

余談
1+1=2 と答えるのは簡単だが、
1+1=2 であることを証明するのはかなり難しい。
こんなこと証明する意味なんて無いだろと思われるかもしれないが、
確かに意味は無い・・・
しかし、我々は1+1=2が証明されていて、成り立つと信頼して計算を行っているのだ。
  1. 2006/11/02(木) 17:53:00|
  2. 学問
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仕事はゆとりを持って。

確かにそうだと思う。


神様なんて信じない僕らのために - IT系の人は忙しさを免罪符にしてはいないか?


「開発者」に限定されて書かれているが多分すべての部門に言えることだろう。
「本当に納期を守らなくてはいけないのか?」というより、
「納期を延ばす折衝はしなくてよいのか?」と思ってしまう。

かなりぶっちゃけると私は通信系SEで、ユーザの所に行って説明なり
仕様なり技術的なことを伝える役目をしているのだが、
頭の悪い営業は客のむちゃくちゃな納期を受け入れてしまう。

そのたびに私は納期を守れない理由を営業とお客さんに説明し、
お客さんに納期を延ばしてもらっている。

つまりなにが言いたいかというと、
忙しいからできないというのなら、忙しくならない努力をしろ。
ということだ。
意外と話せば納期は延びる。

どうしても延ばせなかったり、納期を守れないような見積もりをする
人がいるのなら、辞めるという決断をするべきではなかろうか。
たいていの人は折衝するのがめんどくさくて受け入れているだけ。
  1. 2006/11/02(木) 16:47:05|
  2. 仕事
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